「大坂夏の陣」の後、本多家へ嫁いだ千姫。
「千姫が姫路城に来るまで」を知る
千姫が姫路城で過ごした部屋とは、一体どんなところだったのでしょうか?
本記事では
・千姫が過ごした部屋
・次女たちの居住地~百間廊下~
などについてお伝えいたします。
姫路城で千姫の過ごした部屋は「化粧櫓」
姫路城で最も新しく作られた「西の丸」。
その周囲には「百間廊下」と呼ばれる長い廊下があります。
そこは男子禁制の廊下で、西の丸で一番天守閣に近い櫓へと続きます。
珍しく畳敷きの部屋があるこの櫓こそ、姫路城で千姫が過ごした場所。
「化粧櫓」です。
徳川家は千姫が嫁ぐ際、持参金10万石を用意しました。
現在の価値にすると、なんと約20億円だそうです。
この「化粧櫓」は、持参金の一部を使用して作られました。
当初は幸せな日簿を送っていた千姫。
しかし、その日々は長くは続きませんでした。
嫡子を出産するも3歳で急死。
その後は妊娠/流産を繰り返すようになります。
千姫は、ほど近い男山に「千姫天満宮」を建立。
日々化粧櫓から祈りをささげる毎日を送りました。
しかし1626年5月、夫の忠刻も亡くなり、千姫は失意の中江戸へと戻ります。
姫路城での千姫の侍女たちは
千姫の部屋「化粧櫓」へと続く百間廊下。
「百間」は、メートルに直すと約180メートルです。
しかし百間廊下は、実際は約300メートルに及びます。
その長い廊下、正式には「西の丸長局」とも呼ばれています。
千姫の侍女たちが日々を過ごした部屋は、この「西の丸長局」にあります。
32もの部屋があるこの廊下を、千姫は毎日訪れていたそうです。
姫路城周囲には、化粧櫓や長局(ながつぼね)の白壁を見上げる道があります。
通称「千姫の小径」とも呼ばれるこの道は、桜や紅葉が植えられ、心和む散歩道となっています。
まとめ
姫路城に入ると、正面に天守閣への道があります。
西の丸へは、これと違う道でなくては行くことが出来ません。
しかしはやる思いを抑え、あえて西の丸へと先に足を運んでみてください。
千姫も眺めたであろう「化粧櫓から眺めた天守閣」を味わってから天守閣に上ると、また違った趣が味わえるでしょう。
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