【情熱大陸】鈴木健司(順天堂医師)~手術の達人、その知られざる経歴~

医師

2021年5月16日放送「情熱大陸」に出演の鈴木健司さん。

順天堂大学医学部呼吸器外科学講座の主任教授であり、日本を代表する外科の名医ですね。

本記事では、
・鈴木健司さんの経歴
・順天堂大学での鈴木健司さんの活動
等についてお伝えいたします。

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【鈴木健司】順天堂大学教授になるまで

鈴木健司さんは1965年東京都生まれです。

剣道5段の鈴木さん。
実は小学生の時は野球少年でした。

きっかけは長嶋茂雄さんの引退。
鈴木さんが小学4年生の時です。

地元のリトルリーグに入団した鈴木さんはいきなり活躍。
4年生ながら、6年生の地元の有力チームエースの速球も軽く打ち返していました。

鈴木さんは当時「ボールが止まって見える」という感覚を覚えていたそうです。

しかし、鈴木さんの父は「剣道と野球」どちらか選択するよう迫ります。
中学/高校では結局、剣道を真剣に頑張る日々を送りました。

そして「砂漠の熱エネルギー転換利用」を実現する夢を持ち、京都大学工学部を受験します。

しかし、結果は不合格。
浪人生活に入ります。

医師への道の始まり

ある日模擬試験の会場で、防衛医科大学校のパンフレットを持った人が隣に。
「タダで受験」「お金貰いながら医者になれる」

そんな魅力にひかれ、防衛医科大学校を受験。
見事入学を果たしました。

防衛医科大学校の学生は「ハングリーかつ検挙」な気質を持っていました。

同級生は皆医学を崇高なものとして「畏(おそ)れ」を持ち、純粋に医学を学ぶ意欲が高かったそうです。

そこには、医師になって「金持ちになる」「地位や名誉を獲得」といった俗な意識はなく、素晴らしい環境でした。

鈴木さんも、卒業し医師免許を獲得するころには、医師という職業に対して純粋に誇りをもって向き合っていました。

順天堂大学教授就任までの経歴

1990年に防衛医科大学校を卒業した鈴木さん。
その後自衛隊で医師として勤務しました。

防衛医科大学校は、卒業後9年間の「義務年限」があります。

しかし「世界一の呼吸器外科医になりたい」という希望を持っていた鈴木さん。
1995年、国立がんセンター東病院(現:国立がん研究センター東病院)へレジデントとして転職します。

この時、高額な償還金が必要でしたが、何とか工面し、無事に転職を果たしました。

1999年には、国立がんセンター中央病院(現:国立がん研究センター中央病院)のスタッフドクターとなります。

そして、2007年には病院医長に就任しました。

さらに2008年、順天堂大学医学部呼吸器外科学講座へ転職。
主任教授に就任します。

42歳という若さでの就任は異例でした。

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【鈴木健司】肺がん手術日本一~順天堂大学での活動など~

就任当時、順天堂大学の肺がん手術は年間100件ほど。
しかし、鈴木さんはチームをけん引し、就任初年で約2倍までに伸ばします。

2009年、その鈴木さんの病院に、当時78歳のお母さまが入院します。
ヘビースモーカーだったお母さまは「肺がん」。
即手術となりました。

肉親の手術、さずがに手も振るえるだろうと思いきや「全くの平常心でした」と語る鈴木さん。

お母さまは4日で無事退院。
その後もピンピンしていたそうです。

年間7万人が命を落とす「肺がん」。
2012年には、鈴木さんの手術実績は実に2500件を超えます。

現在は、肺がん500件など年間700件以上の手術を担当。

「命をあきらめない」鈴木医師。
自らさらに精進を続けながらも、「大事なのはチーム」といいます。

そして今でも、肺がん手術スペシャリストとして、第一線で活躍中です。

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まとめ

日本を代表する外科医であり任天堂教授の「鈴木健司」さん。

情熱大陸では、どんなお話が聞けるのでしょうか?
とても楽しみですね。

最後までご購読ありがとうございました。

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