姫路城って誰のお城?簡単に答えるには?

姫路城

会話に出てくる日本のお城といえば、姫路城が一番でしょう。

よく言われることの一つは「姫路城って誰のお城だったの?」。

例えば「江戸城って誰のお城?」と聞かれたら、「徳川将軍家だよ」とか、簡単に一言で答えられます。
しかし、姫路城の場合はこうはいかないのです。

姫路城は、歴代城主が40人を超えます。
また、収めた大名も多岐にわたります。

では、簡単に答えるにはどうすればよいのか?

本記事では、姫路城歴代城主の中から代表的な数人を取り上げます。

「姫路城って誰のお城だったの?」。
聞かれたら、以下の人の名前を答えるのがよいかと思います。

スポンサーリンク

【姫路城】赤松貞範

赤松貞範(あかまつさだのり)は、「元祖姫路城」を作った人です。
同時に「初代城主」とも言えます。

南北朝時代の武将。
徳治元年(1306年)、赤松則村(円心)の次男として誕生しました。

北朝側の武将として、室町幕府創設に尽力しました。

スポンサーリンク

【姫路城】黒田官兵衛と豊臣秀吉

戦国時代、黒田家により「現在の姫路城」が築かれました。

そして、この城で産声を上げたのが有名な「黒田官兵衛」。
天文15年(1546年)11月のことです。

もっとも「黒田官兵衛」は通称。
正式な名前は「黒田孝高(くろだよしたか)」です。
黒田官兵衛について詳しく知る

黒田官兵衛は城主についたのち、姫路城を豊臣秀吉に譲ります。
「秀吉にかけた」官兵衛の決意でした。

こうして、豊臣秀吉が姫路城城主となりました。
「姫路城」と呼ばれるようになったのは、この頃だといわれています。

豊臣秀吉はこの後、「天下人」の道を進みます。
このため姫路城は「秀吉の出世城」とも呼ばれています。

スポンサーリンク

【姫路城】池田輝政と本多忠政

「関ケ原の合戦」の後、池田輝政が姫路城城主となります。
江戸幕府を開いた徳川家康の命でした。

永禄7年(1564年)尾張の国で生誕。
織田家・豊臣家に仕えた後、石田三成と対立し家康に仕えるように。

現在の姫路城天守閣は、この池田輝政により築かれました。
「白鷺城(しらさぎじょう または はくろじょう)」の別名は、池田輝政が築いた真っ白で荘厳な天守閣に由来します。

池田家の後に城主になったのは本多忠政。
あの千姫が嫁いだ「本多忠刻」の父です。
千姫が姫路城に!なぜ

「徳川四天王」本多忠勝の子として天正3年(1575年)に生まれました。

「西の丸」「三の丸」が築かれたのもこの時代。
今の姫路城の姿になりました。

スポンサーリンク

まとめ

「姫路城って誰のお城?」

こう聞かれたら、本記事に登場した
・赤松貞範(あかまつ さだのり)
・黒田官兵衛(黒田孝高(くろだ よしたか))
・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)
・池田輝政(いけだ てるまさ)
・本多忠政(ほんだ ただまさ)
の名前をとりあえず答えてみてください。

最後までご購読ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました